安芸渡辺氏

☆安芸渡辺氏の起源☆

先祖は鎌倉時代から毛利氏に仕えており、
毛利時親が安芸に下向したときに、共にした家臣という。
その後、代々譜代家臣として毛利家を支えた。


☆渡辺三代録☆

渡辺勝

井上元兼とともに多治比の毛利元就に家督相続に依頼をすると、
毛利元就宗家相続の15人のうちの1人として連署するが、
毛利元就が宗家を相続した後に、
尼子氏と結んで相合元綱を擁立しようとしたため殺害された。

渡辺通

渡辺勝の嫡子。
父の渡辺勝が殺害された後は、山内直通の元に落ち延びた。
その後、山内直通が頼み毛利元就は承諾して渡辺家は再興した。
そして毛利元就の家臣としてなると、
大内義隆の尼子氏攻めの際の敗走で、毛利元就勢の危機となると、
毛利元就の甲冑を着用して討死した。
その後、毛利元就は無事に帰還することができ、
渡辺家を見捨てないことを誓ったといわれる。

渡辺長

渡辺通の嫡子。
厳島の戦いや大友氏との門司の戦いで活躍すると、
毛利輝元に従って上洛をした。
豊臣の姓を授けられている。

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