安芸志道氏

☆志道氏の起源☆

安芸志道氏は、毛利弘元の執権をつとめた坂広秋の4男・元良が、
安芸国の志道村に居住したことから志道を証したのに始まります。


☆志道家武将☆

志道広良

志道元良の嫡男。
毛利興元と幸松丸の執権をつとめた武将で、
毛利興元の執権時に、毛利元就に毛利興元の忠誠を誓わせる。
幸松丸が死去すると、毛利元就の宗家相続依頼の15人のうちの1人となり、
毛利元就の前半の執権をつとめた。
また毛利隆元の指導も行い、有名な明言でもある、
「水あっての船、家来あってこその大名」
といって大名の心得をといたりいて指導した。

志道元保

志道広良の嫡孫。
父が1539年に亡くなったことから、家督を相続する。
安芸国の中麻原代官をつとめたりもした。

志道就良

大内氏を滅亡させたのちに周防に領地を得る。

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