安芸兼重氏

☆兼重氏の起源☆

毛利豊元の3男は正室の子ではなかったために、
幼少の頃に大通院に預けらるが、成人した後に出家を嫌ったために、
吉川家家臣の笠間氏の養子となり笠間元鎮と名乗る。
その後、毛利元就が吉田に誘うと吉田庄兼重から兼重氏を名乗った。


☆兼重一族☆

兼重元鎮

毛利豊元の3男。
正室の子ではなかったために、幼少の頃に大通院に預けらるが、
成人した後に出家を嫌ったために、吉川家家臣の笠間氏の養子となり笠間元鎮と名乗る。
その後、毛利元就が吉田に誘うと吉田庄兼重から兼重氏を名乗った。
1540年の軍山の戦いで深手を負うとそれがもとで死亡した。

兼重元宣

兼重元鎮の息子。
兼重元鎮より家督を相続すると、
毛利輝元より、下総守の受領を授けられる。

兼重元続

兼重元宣の嫡男。
兼重元宣より所領を譲与される。


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