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安芸井上氏

☆井上氏の起源☆

清和源氏で、井上氏を頼季が称し、その子・頼貞を祖とした。
 南北朝時代の頃に井上光純が安芸に移った。
井上光純の子・光教は毛利豊元を妹を妻とし、
この頃から毛利氏と井上氏と密接な関係を持ち始める。
また一族が多く、毛利家の紋着用までも許されている。

☆桂氏一族☆

井上光兼

井上勝光の嫡男。
数多い井上一族の中の総領家にあたる。
1507年に井上光兼の邸宅に訪れた客僧を、
当時11歳の毛利元就(松寿丸)が大方殿と共に、
井上光兼の邸宅に訪れた。
そこで念仏の伝授を受けた毛利元就(松寿丸)は、
毎朝朝日を拝み、念仏を十篇ずつ唱え、
日輪に対して祈祷するようになったという。
また、1550年の井上一族が誅伐を受けた際には、
これを免れていることから、
井上光兼は毛利元就に目を掛けていたようだ。

井上元盛

井上勝光の次男で、井上光兼の弟。
毛利元就(松寿丸)が父・毛利弘元から譲り受けた、
多治比300貫の所領を横領している。
また、井上元盛は横領後、急死したことから、
井上俊久・井上俊秀の尽力で復帰できている。
しかし、1523年の毛利元就に宗家相続を要請した、
宿老15人のうちの1人にも確認されている。
1550年の井上一族が誅伐を受けた際に、
井上元盛も殺害されている。
前半、後半の記述は同姓同名(?)で別人か?
未だによくわかっていない。

井上元景

井上勝光の三男で、井上光兼の弟。
(井上有景の嫡男とする系図もある。)
後に、井上元景から井上元有に改名。
1523年の毛利元就に宗家相続を要請した、
志道広良の使者として毛利元就の元にいくと、
その後、宿老15人の連署状をかかえて、
国司元相と共に使者として、多治比城に要請した。
その後、1550年の井上一族が誅伐を受けた際に、
井上元景(元有)も殺害されている。

井上光俊

井上勝光の四男で、井上光兼の弟。
毛利興元の時代から、幸松丸、元就、隆元と仕え、
1516年の宍戸攻め、1517年の安芸武田氏との戦いから、
1540年の郡山城籠城戦などでも活躍し、
1549年に毛利元就が山口で病にかかった時も看病した。
その為、1550年の井上一族が誅伐を受けた際に、
これを免れている。

井上元兼

井上光兼の嫡男。
1523年の毛利元就に宗家相続を要請した、
宿老15人のうちの1人に確認されている。
この毛利元就の宗家相続には、
井上一族が5人もおり、力があったことがわかる。
このため、毛利元就が宗家相続したのには、
自分達の力があったからだと思った井上一族は、
年賀の式、出仕、評定の議などにも不参加、怠り、
その上、まれに参加した評定でも、
上位の渡辺氏よりも上座に座るなど着座を守らなかった。
そして許可無くして隠居。
譜代家臣としての職務も果たさなかった。
その為、1550年に毛利元就によって、
1550年の井上一族が誅伐を受けて、
総領の井上元兼ら30余名が誅伐された。

井上元光

井上光兼の次男。(初名を元在)
毛利元就の妹婿だったため、
1550年の井上一族が誅伐を受けた際は免れた。
この時に総領家の井上元兼が誅伐されたため、
井上家宗家をそうぞくする。
また、安芸高ノ峯城を預けられている。

井上就正

井上光兼の六男。(井上元兼の六男?

毛利元就を烏帽子親として元服して就正と名乗る。
1550年の井上一族が誅伐を受けた際は、
先祖の戦功によって誅伐を免れ、
一時、吉川元春の元に預けられたが、
その後、誅伐された叔父の井上元盛の旧領を相続した。
安芸平賀攻めで戦功をあげると、
豊前小倉津の検使、出雲新山城の普請奉行などをした。

井上就兼

井上元兼の嫡男。
1550年の井上一族の誅伐の際に、
郡山城にて桂就延に殺害される。

井上元勝

井上就正の嫡男。
備中加茂の戦いで戦死する。

井上就重

井上勝光の五男で井上光兼の弟の、井上光家の子息。
1550年の井上一族が誅伐を受けた際は免れた。
その後は毛利元就の奉行人として活躍し、
毛利元就の被官衆にに打渡状を発給したり、
被官衆に軍事行動を指揮したり、検使などもつとめた。

井上元貞

井上一族・井上光貞の弟。
1523年の毛利元就に宗家相続を要請した、
宿老15人のうちの1人に確認されている。
その後、尼子氏のもとに人質として派遣され、
毛利元就が尼子氏を離反すると、
密かに月山富田城を脱出したが、攻められ討死したという。

井上元有

井上一族。
1550年の井上一族の誅伐の際には、
小早川隆景に殺害される。

井上元重

井上一族。井上元有の弟。
1550年の井上一族の誅伐の際に殺害される。

井上有景

井上一族。
井上元有の嫡男。(井上元有の父という説もあり)
1532年の家臣団32名が互いの利害調整を、
毛利元就に要請した起請文では16番目に署名している。
しかし、その後の経歴は不明。

井上就在

井上一族。
1523年の毛利元就に宗家相続を要請した、
宿老15人のうちの1人に確認されている。
しかしその後の経歴は不明。

井上元吉

井上一族。
1523年の毛利元就に宗家相続を要請した、
宿老15人のうちの1人に確認されている。
しかしその後の経歴は不明。

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