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安芸粟屋氏 (粟屋元秀系統)

☆粟屋氏の起源☆

1336年の毛利時親の安芸下向に追従したといわれ、
粟屋親良の曾孫・春義の次男・義之を祖とする。
また、粟屋元国家とは別系にあたる。

☆粟屋氏一族☆

粟屋元秀

1507年から1511年までの毛利興元の出陣では、
京都に出陣して従った。
また1523年の毛利元就の家督相続の要請をした、
宿老15人のうち1人に確認される。

粟屋元親

粟屋元秀の孫。
1540年の安芸国での平賀氏との戦いや、
尼子氏との戦いなどで戦功を上げる。
さらに、防長制圧では50余人を討ち取る。
そして五奉行制度が確立すると、
毛利隆元の直属奉行人として参画する。

粟屋元通

粟屋元秀の孫で、粟屋元宗の息子。
1548年の備後神辺城攻めに参加すると、
防長制圧や伊予攻めなどにも参加して活躍する。
また、岩国の代官職も務めており、
1572年の毛利氏掟の年寄衆の1人に確認できる。

粟屋元信

粟屋元親の息子。
兄・元著が早世したために、家督を相続し、
そして父から奉行人の地位も引き継いだ。

粟屋元定

粟屋元通の嫡男。
粟屋元通から家督を相続する。

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