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安芸粟屋氏 (粟屋元国系統)

☆粟屋氏の起源☆

粟屋氏は源義光の曾孫の義定を祖とし、
その曾孫の元義が常陸の粟屋に居住し、
毛利氏の祖でもある大江広元と主従関係を結び、元の字を授けられている。
その後、粟屋元義の五代後の親義から粟屋を称している。
毛利時親の安芸下向に従ったようで、粟屋氏は一族が多い。


☆粟屋一族☆

粟屋元国

粟屋氏の惣領にあたり、
毛利元就家督相続の際には、粟屋元秀に自分の病気の神仏詣として、
将軍に毛利元就相続を直訴させた。
1529年の安芸松尾の戦いでは活躍して感状を得ている。

粟屋元種

粟屋元国の弟・元方の息子。(初名を元宣)
1568年頃から奉行人として勤め、
1572年の毛利氏掟の奉行衆の1人として名を連ねている。
その後、1585年頃まで奉行人を勤めた。
1578年には摂津木津城の在番を命じられ、恩賞を受けている。

粟屋元信

粟屋元種の嫡男。
1579年の備中賀茂の戦いで戦死する。

粟屋元貞

粟屋元種の弟・盛忠の次男。
粟屋元種の嫡男・元信が戦死したことにより、
粟屋元種の養子となる。

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