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安芸阿曽沼氏

☆阿曽沼氏の起源☆

阿曽沼氏は、下野国阿曽沼郷を領した足利広綱が祖で、
南北朝の頃、その一族が安芸国安芸郡世能を本領とする国人領主。
戦国時代初期はは大内氏に属していた。

☆阿曽沼氏一族☆

阿曽沼広秀

安芸国国人領主で鳥籠城城主、妻は田総元里の娘。
1523年頃に、阿曽沼広秀は大内氏を離反して尼子氏側に属したため、
1527年に大内氏重臣の陶興房に攻められ降伏。
大内義隆滅亡後は毛利元就に帰属し、
厳島の戦いや防長信仰戦などを通じて活躍する。
また1560年には足利義輝より中務少輔の官途を拝領する。
しかし、出雲遠征への参陣を遅らせて毛利元就から催促を請け、
また毛利氏から課せられた公事についても不満を表明するなど、
まだ安芸国人領主としての独立性は維持していた。

阿曽沼元秀

阿曽沼広秀の嫡男。芸雲防石に4813石を領していた。
長女は天野元政に、次女は桂元信に嫁いでいる。

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