安芸毛利氏
兄 毛利興元
毛利弘元の長男。毛利元就の兄。
父の弘元から家督を譲られ第10代毛利家の当主となると、
足利義植を奉じて大内義興の上洛に参加して京都に4年間滞在した。
安芸では有力8家と結び、
備後国では山内・木梨の衝突の調停を行うなど活躍する。
また、武田元繁が己斐城を攻めると、己斐城の救援する為に出陣する。
しかし、24歳で急逝。死因は酒害といわれている。
弟 相合元綱
坂氏・渡辺氏を誘って謀反を企てたが、暗殺される。
これには尼子家側からの関与があったと思われる。
弟 北就勝
毛利弘元の四男。毛利元就の弟。
足が不自由だったため出家して常楽寺の住職になるが、
後に還俗して元就の家臣となり、
毛利元就が滅ぼした安芸高橋氏の庶家・北氏の所領を相続したと見られる。
また、一時は息子がいないため
毛利元就の次男・元春が養子へ行く予定だったが、
元春が吉川家に養子へ行くと、これはなくなっている。
長男 毛利隆元
毛利元就が相続問題で
尼子氏から大内氏へ乗り換えるときに大内氏の人質になる。
人質に入った後に元服し、
大内義隆から隆の一文字のとって隆元と名乗る。
毛利元就より家督を譲られ、当主になる。
陶晴賢を厳島の戦いで討ち破ると防長攻略・石見攻めなどに参戦し、
次男・吉川元春、三男・小早川隆景とともに元就を助ける。
その後は九州にもへ出陣し、その領土を拡張して行ったが、
出雲の毛利元就を助けるために引き返しに行く途中、
和智誠春の手厚いもてなしを受けるが間もなくして急死する。
次男 吉川元春
12歳で宮崎長尾合戦で初陣し武功を上げる。
さらに吉川家を相続し、熊谷信直の娘と結婚をする。
厳島の戦いでも武功を上げ、
その後は山陰の武将との交流がふえる。
さらに、吉川元春は山陰・山陽・四国・九州と戦争に勝ち進む。
そして、尼子氏との月山富田城攻めにも活躍する。
なかでも山中鹿之助・立原久綱らが守った場所攻めは奮戦した。
またこの長引く攻城戦で、太平記を四十巻筆写したというのは有名。
弟の小早川隆景と共に本家の毛利輝元を補佐し、毛利両川として活躍する。
九州征伐の時、秀吉の強請で参加するが、小倉城で病死。
生涯75の合戦に臨み、64度勝ち負けは1つも無かった。
三男 小早川隆景
竹原小早川家の当主になり、その後本家である沼田小早川を相続する。
厳島の戦いでは、村上水軍を味方につけて、陶晴賢を挟み撃ちにした。
村上水軍が陶晴賢の水軍を打ち破り勝利に大きく貢献した。
月山富田城攻め・九州出征と戦で武功を上げると、
外交・内政も担当し、織田信長との交渉をする。
備中高松城をめぐる攻防では、羽柴秀吉と講和をする。
四国征伐の功で伊予35万石に封ぜられ、
九州征伐では、50万石を与えられる。
小田原の役・朝鮮出兵などの功も目立ち、豊臣秀吉の五大老となる。
しかし毛利家の忠誠心は変わらず、
毛利本家に継がせようとした秀吉の甥・秀秋を自らの養子に迎える。
四男 穂田元清
備中猿掛城主・穂田元資の養子となる。
備中攻略のため、矢掛城の守備をすると、
備前・児島の戦いでは宇喜多直家を撃破する活躍をする。
山中鹿之助の拠る播上月城を陥落させるなどの武功が高い。
また、羽柴秀吉と戦い和睦すると、中山城を築いて移る。
さらに次男の秀元が毛利輝元の嗣子となると、桜尾城に移る。
内政では広島城及び城下の普請奉行を務める。
その後、文禄の役にも従軍し、活躍をした。
五男 椙杜元秋
蓮華山城主・椙杜隆康の養子となる。
尼子家の富田城が落城した後、富田城主となり、富田氏を称する。
その後、元秋が死去すると弟の元康が富田城主となる。
六男 出羽元倶
毛利元就の五男。
出羽二山城主・出羽元祐の養子となる。
しかし、17歳で死去。
七男 天野元政
米山城主・天野元定の婿養子となって天野氏を名乗る。
上月城の戦いで手柄を立て、各地の合戦に出陣して活躍をする。
後に仏門に入り宋休と名乗る。
また、毛利八家の右田毛利家の祖ともなった。
八男 末次元康
出雲末次城主になり、末次氏を称する。
兄・元秋の死後、後を継ぎ富田城主となる。
朝鮮出兵や関ヶ原の戦いで大津城攻めに参戦した。
九男 小早川秀包
大田秀綱の養子となり大田姓を名乗ることになるが、
小早川隆景に子供が出来ないことから、
小早川家の養子になり小早川元総と名乗る。
備中高松城攻防戦の末に和睦すると、小早川家からの人質としていく。
このとき豊臣秀吉に寵愛され、
元総から秀包に改名する。
また毛利本家に継がせようとした
秀吉の甥・秀秋を小早川家の養子にしたことから、
別家を建てて毛利姓に戻る。
二宮就辰
小早川隆景と穂田元清の間の毛利元就の子。
毛利家に仕えた二宮春久の子とされるが、
側室の中の丸が輝元に密かにいったことによりわかる。
毛利輝元の代では政務に携わり、
普請奉行として広島城とその城下町の建設を行った。
毛利輝元の信頼はあつく、側近として仕えている。
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