毛利元就完全年表
未だ完全とはいきませんがとりあえず最後までのせました。
1521年 (大永1年) |
幸松丸の後見人・高橋久光が戦死する。 |
1522年 (大永2年) |
高橋久光の弔い合戦で青屋城を陥落させる。 毛利元就が山県氏の壬生城を陥落させる。 安芸坂城を攻めて陥れる。 |
1523年 (大永3年) |
安芸西条鏡山城を攻めて陥れる。 幸松丸郡山城で死亡し、享年9歳。 老臣15人連署により、毛利元就が宗家の家督を相続する。 長男の毛利隆元(少輔太郎)が生まれる。 |
1524年 (大永4年) |
異母弟・相合元綱を殺害する。 佐東銀山城を死守する為、奇襲し成功。 |
1525年 (大永5年) |
尼子氏側と縁を絶ち、大内氏側に属する。 安芸米山城主の天野興定を麾下する。 |
1529年 (享禄2年) |
出羽祐盛を麾下にする。 安芸松尾城を攻めて陥れる。 |
1530年 (享年3年) |
二男の吉川元春(少輔次郎)が生まれる。 |
1533年 (天文2年) |
安芸三入高松城主熊谷信直を麾下にする。 三男小早川隆景(徳寿丸)が生まれる。 |
1534年 (天文3年) |
毛利元就の娘(五龍の方)を宍戸隆家に嫁がせる。 備後宮城主宮直信を降伏させる。 |
1535年 (天文4年) |
備後多賀山城主多賀山久意を降伏させる。 備後甲山城主山内直信と和を結ぶ。 |
1554年 (天文23年) |
吉見正頼の居城・三本松城の攻撃を開始。 毛利元就が陶晴賢(陶隆房改名後)との関係を断つ。 桜尾城・草津城・仁保島使途を攻略する。 折敷畑の戦いで宮川房長らの主力が壊滅する。 |
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1555年 (弘冶1年) |
陶晴賢が重臣江良房栄を殺害する。 矢野城を攻略し、野間隆実降伏。 厳島に宮之城を建築し、己斐豊後守を入城させる。 厳島の戦いで陶晴賢が自刃する。 鞍山城を攻略し、杉隆泰敗死する。 |