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屋代島衆 沓屋氏史

☆周防へ下り、油良・日前☆

安倍貞任の子孫ということになっている。
安倍氏は陸奥の豪族で前九年の役で追討を受け滅ぼされているが、
次男の貞綱が駿河の安倍郡沓屋郷に移住した為に沓屋氏を称した。
後に牧野を称するが沓屋に戻して周防に下った。
そこで国府の役人になって油良・日前などの下司をしたらしい。
国府の勢力がなくなった後も領有していて大内氏に属したらしい。
代々の家系は沓屋房成・沓屋重輔・沓屋直房とあり、
代々の勢力は油良・日前などを持っていたとおもわれる。


☆大内氏に仕える☆

資料に出るのは1399年に大内義弘が畠山基国と戦ったことで、
この時に沓屋氏の沓屋弘忠が戦死している。
さらに大内氏の傘下にあった長崎氏と姻戚関係にあり、
沓屋景頼に長崎元康の娘が嫁ぎ、
沓屋景頼の息子・沓屋元綱には長崎房親の娘が嫁いでいる。
これ以降、長崎氏と沓屋氏は行動を共にしている。
しかし大内義隆が殺されると大内義長には同調せずに、毛利元就に味方している。
これは長崎氏は毛利元就の先祖である、
大江広元の代官として下った長崎氏に同調したものとみられている。
そこまで密接した関係にあったことがわかる。


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