安芸吉川氏物語 其の五 (1540年〜15年)

☆郡山合戦序章☆

尼子氏では1537年に尼子経久から孫の尼子晴久が当主になっていた。
野心に燃える尼子晴久は勢力範囲を広げ、
因幡、美作、備前、播磨、備中、備後、出雲、伯耆、石見、安芸半国等をおさえ、
但馬の山名氏とも手を結び京都進出への糸口をつかんでいた。
だが気になるのは背後の毛利氏であった。
既に安芸国では味方の佐東銀山城城主の武田氏が勢力を失い、
このままでは芸備石三国の領主は大内、毛利氏になびきそうだった。
備後の石見を完全に征服しないうちに、敵地の安芸に深く入るのは危険だ、
という慎重論も出たが、積極論が大勢を占め、侵攻が決まったという。(陰徳太平記)

☆郡山合戦前編☆