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毛利元就完全年表

未だ完全とはいきませんがとりあえず最後までのせました。

年号 事項
1497年
(明応6年)
安芸国吉田にて毛利弘元の次男として生まれる。
当時の幼名を松寿丸といい、母は福原広俊の娘。
1500年
(明応9年)
毛利元就(松寿丸)の兄・毛利興元家督を相続する。
毛利弘元は松寿丸と共に多冶比猿掛城に移る。
1501年
(文亀1年)
毛利元就(松寿丸)の母が死去。
毛利弘元の正室をつとめ、享年34歳。
1506年
(永正3年)
毛利元就の父・毛利弘元死去し、享年39歳。
毛利元就(松寿丸)は多冶比猿掛城を譲られる。
1511年
(永正8年)
幼名の松寿丸から毛利元就に改名し元服。
1515年
(永正12年)
毛利元就の兄・毛利興元に息子・幸松丸が生まれる。
1516年
(永正13年)
毛利元就の兄・毛利興元死去。享年24歳。
毛利興元の嫡男幸松丸が家督を相続する。
1517年
(永正14年)
毛利元就が安芸国有田にて初陣を飾り、
安芸国守護・武田元繁と戦い、これに勝つ。
1521年
(大永1年)
幸松丸の後見人・高橋久光が戦死する。
1522年
(大永2年)
高橋久光の弔い合戦で青屋城を陥落させる。
毛利元就が山県氏の壬生城を陥落させる。
安芸坂城を攻めて陥れる。
1523年
(大永3年)
安芸西条鏡山城を攻めて陥れる。
幸松丸郡山城で死亡し、享年9歳。
老臣15人連署により、毛利元就が宗家の家督を相続する。
長男の毛利隆元(少輔太郎)が生まれる。
1524年
(大永4年)
異母弟・相合元綱を殺害する。
佐東銀山城を死守する為、奇襲し成功。
1525年
(大永5年)
尼子氏側と縁を絶ち、大内氏側に属する。
安芸米山城主の天野興定を麾下する。
1529年
(享禄2年)
出羽祐盛を麾下にする。
安芸松尾城を攻めて陥れる。
1530年
(享年3年)
二男の吉川元春(少輔次郎)が生まれる。
1533年
(天文2年)
安芸三入高松城主熊谷信直を麾下にする。
三男小早川隆景(徳寿丸)が生まれる。
1534年
(天文3年)
毛利元就の娘(五龍の方)を宍戸隆家に嫁がせる。
備後宮城主宮直信を降伏させる。
1535年
(天文4年)
備後多賀山城主多賀山久意を降伏させる。
備後甲山城主山内直信と和を結ぶ。
1540年
(天文9年)
尼子新宮党の尼子国久勢が備後路より郡山城を攻めるが、
宍戸氏の防戦で退く。
尼子晴久が30000の大軍を率いて郡山城を攻める。
大田口の合戦・広修寺の合戦・祇園縄手の合戦で攻防が続く。
坂豊島の合戦で湯原宗綱を討ち取り、
青山土取場の合戦で三沢為幸を討ち取る。
1541年
(天文10年)
宮崎長尾の合戦で尼子久幸を斬る。
石見路を通り、尼子晴久勢退却。
佐東銀山城を陥れ、安芸武田氏を滅亡させる。

毛利隆元、人質の役を終え帰還。
1542年
(天文11年)
出雲遠征のため出陣。
出雲赤穴城を陥れる。
1543年
(天文12年)
月山富田城の付近で交戦するが攻略できず退却。
吉川元春元服。
1544年
(天文13年)
尼子晴久が比叡尾山城の三吉広隆を攻めるが、
毛利元就が援軍し撃破する。
三男小早川隆景が竹原小早川家の後嗣となる。
1545年
(天文14年)
毛利元就の正室(妙玖)死去。享年47歳。
1546年
(天文15年)
毛利元就、家督を毛利隆元に譲る。
1547年
(天文16年)
二男吉川元春が吉川家を相続する。
1548年
(天文17年)
大内氏と協力して、山名氏の備後神辺城を攻める。
1549年
(天文18年)
毛利元就、大内義隆に謁見する。
毛利隆元、内藤興盛の娘と結婚する。
備後神辺城を攻めるが陥れられず、
しかし孤立したため平賀隆宗の遺臣が陥れる。
1550年
(天文19年)
吉川元春、新庄小倉山城に入城。
井上党の井上元兼を中心とした一族を俗滅する。
吉川興経父子を殺害する。
小早川隆景、沼田小早川家を相続。
1551年
(天文20年)
毛利元就、厳島・銀山城・桜尾城を陥落させる。
陶隆房が山口を襲撃し、大内義隆を自刃させる。
頭崎城を陥落し、平賀隆保を自刃させ、平賀広相が相続。
1552年
(天文21年)
大友晴英、大内氏を継承し、大友義長と改名する。
毛利隆元・吉川元春、西条槌山城を攻略し、菅田宣実降伏。
志川滝山城を攻略し、宮光寄逃走する。
1553年
(天文22年)
毛利隆元の嫡子・幸鶴丸誕生。(後の毛利輝元)
備中に入り、成羽城主三村家親を助けて、
穂田為資の猿掛城を陥落させる。

高杉城を陥落させて、祝甲斐守は戦没する。
旗返城を陥落し、江田隆連逃走する。
甲山城主・山内隆通、多賀山城主・多賀山通続を麾下に属す。
1554年
(天文23年)
吉見正頼の居城・三本松城の攻撃を開始。
毛利元就が陶晴賢(陶隆房改名後)との関係を断つ。
1554年
(天文23年)
吉見正頼の居城・三本松城の攻撃を開始。
毛利元就が陶晴賢(陶隆房改名後)との関係を断つ。
桜尾城・草津城・仁保島使途を攻略する。
折敷畑の戦いで宮川房長らの主力が壊滅する。
1555年
(弘冶1年)
陶晴賢が重臣江良房栄を殺害する。
矢野城を攻略し、野間隆実降伏。
厳島に宮之城を建築し、己斐豊後守を入城させる。
厳島の戦いで陶晴賢が自刃する。
鞍山城を攻略し、杉隆泰敗死する。
1556年
(弘冶2年)
刺賀長信・高畠遠言・佐波興連が降服。
毛利隆元を大将に山崎興盛を攻撃。
さらに攻撃をするが、要害のため陥落せずに退却。
1557年
(弘冶3年)
総攻撃を行い、ついに山崎興盛自陣して開城。
富田若山城を陥落させ、陶長房が自刃。
右田獄城主の右田重政降服。
七ツ尾・三隅城主の益田藤兼が降服。
勝山城陥落させ、内藤隆世自刃。
大内義長、長福院に自殺して大内氏滅亡する。
吉川元春が石見の井原城を陥落させる。
毛利元就の弟・北就勝死去。
毛利元就は隆元・元春・隆景の3子に教訓状を書く。

防長両国を征服し吉田へ帰陣する。
1558年
(永禄1年)
出羽二ツ山城主出羽元実・音明城主福屋隆兼が降服。
出羽表の戦いで尼子勢を撃退する。
温湯城陥落し、小笠原長雄降服。
大森銀山城を尼子勢に包囲され、
刺賀長信・高畠遠言自刃する。
1559年
(永禄2年)
正親町天皇の御即位の費用を献納する。
本城常光の山吹城を攻撃するが退く。
1561年
(永禄4年)
大友軍と戦い、これにかって豊前一国を得る。
福屋隆兼が反旗を翻して、川上松山城に籠城。
福屋隆兼の属城である村城・矢上城を陥落させる。
1562年
(永禄5年)
川上松山城に総攻撃を行い、陥落させる。
須佐高矢倉城主本城常光降服する。
須佐高矢倉城主本城常光一族を滅亡させる。
大森銀山が毛利元就のもとへ戻る。
富田月山城を包囲し、持久戦に持ち込む。
1563年
(永禄6年)
毛利家・大友家で講和を成立させる。
毛利元就の長男毛利隆元が死去。
出雲白鹿城攻めをし、城主松田誠保逃亡。
1565年
(永禄8年)
郡山城で幸鶴丸が元服し、毛利輝元と名乗る。
毛利輝元が初陣をし、富田月山城を総攻撃をする。
毛利輝元退却をし、包囲持久戦へとさらに持ち込む。
ついで、江尾城を陥落させる。
吉川元春が太平記を40巻写し終える。
1566年
(永禄9年)
尼子義久が尼子家家老の宇山久信を殺害する。
富田城内で毛利家側の平賀広相と尼子家で衝突する。
尼子義久が開場降服を受託し、誓書を交換する。
1567年
(永禄10年)
赤川元保に切腹を命じる。
1568年
(永禄11年)
吉川元春・小早川隆景の軍勢で伊予に上陸。
その後湯月城に到着し、河野通直を援助。
大友氏との和談が破れ、石見国人衆を先鋒に豊前入りする。
筑前の立花鑑載が毛利元就に通じる。
吉川元春が宇都宮豊綱の上須城を陥落させる。
さらに犬州城も陥落させ、
宇都宮豊綱は降伏し伊予を平定する。
立花城が大友軍により陥落させられ、立花鑑載自刃する。
豊前三岳城が陥落し、城主の長野弘勝自刃する。
1569年
(永禄12年)
和智誠春兄弟を殺害する。
立花城を総攻撃行い激しい戦闘をし、立花城を陥れる。
尼子勝久が出雲にて諸城を陥れる。
藤井皓玄に神辺城を陥れられる。
楢崎豊景と村上亮康により神辺城を奪還し、
藤井皓玄を殺害する。
大内輝弘が大友義鎮の援助を得て高嶺城を包囲する。
吉川元春が大内輝弘を撃破し、大内輝弘は自刃。
1570年
(元亀1年)
毛利輝元が尼子征伐へ行き、属城多久和城を陥れる。
吉川元春は末次城奪還しすると、
毛利輝元は熊野城を攻める。
牛尾三笠山城・熊野城・高佐城・十神山城が陥落する。
十倉城が陥落し、古志重信開城する。
吉川元春が満願寺城を攻撃し陥落させる。
1571年
(元亀2年)
高瀬城を包囲襲撃し、米原綱寛が開城する。
毛利元就が吉田郡山城で死去。享年75歳。

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