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川ノ内警固衆とは?

☆毛利元就、佐東川河口を得る☆

安芸の内陸部に位置する武将・毛利元就が初めて海辺に領土を持つのは、
1541年の尼子晴久勢が吉田郡山城攻めした際に撃退し、
旧安芸守護の安芸武田氏の佐東銀山城を陥落させた恩賞であった。
その佐東銀山城主は武田信実がおさめていたが、
尼子晴久勢が吉田郡山城から撤退すると、ひそかに脱出して逃走していた。
そのため、佐東銀山城は内藤孫四郎をはじめとした家臣が守っていたが、
これを毛利元就が陥落させて、大内義隆より佐東川河口を恩賞としてもらった。
これが毛利元就の瀬戸内海進出のきっかけとなるのである。


☆川ノ内衆を支配下に☆

佐東川河口を支配した毛利元就は旧武田氏家臣であった川ノ内衆に注目した。
この川ノ内衆を支配下にして、触れ頭であった福井元信や山県就相を家臣とした。
この福井氏と山県氏はどちらも旧安芸武田氏の家臣の警固衆で、
佐東川河口の領主だったため、これが毛利家の直属水軍のはじまりとなるのです。


☆飯田氏・児玉氏に指揮権を☆

福井氏と山県氏を家臣とした毛利元就が次に行ったことは、
毛利氏譜代の飯田義武と児玉就方に指揮権をゆだねたことです。
このうち飯田氏は毛利氏が吉田荘へ下向したときからの家臣で、
児玉氏は吉田荘近辺の国人領主だったが、毛利氏が栄えるとそれに仕えています。
この2人の武将に川内警固衆を毛利水軍として編成させていかせます。
1552年には旧安芸武田氏の川ノ内衆が完全に毛利氏の領地になっており、
これにて完全に毛利氏直属水軍として働くことになります。



☆補足・船持ち豪族二階氏☆

川ノ内警固衆を補強する一方で、毛利元就が別に行ったのは、
二階氏をはじめとした船持ち豪族を川ノ内警固衆の補強にあてた。
この二階氏が協力した理由の背景としては役免除の特権と思われるが、
これにて自己で所有している船舶を率いて戦いに参加することになる。
経済特権をうまく利用した毛利元就の作戦は、
かなりの毛利水軍の増大につながってくる。


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